1954年3月1日アメリカがビキニ環礁で水爆実験をおこないました。平塚らいてうほか5名は全世界にむけて(国際民婦連と各国の団体へ)「原水爆禁止のための訴え」を送りました。
◆スイスでの世界母親大会に日本から河崎なつを団長にあらゆる分野から代表を選び、14名(下記資料)が参加しました。はばひろい母親運動の出発点です。
◆代表派遣費用は1人約80万円(当時)かかりましたが、地域ブロックが責任を持ち、カンパ活動に全力でとりくみました。貧しいくらしの中から1円、2円と集め、なんと1人平均100〜150万円になりました。
◆帰国してから14人は日本中を歩いて、報告をしました。東北の土川マツエさんはまる2年間東北6県を歩いて180ヵ所、神奈川の菅原絹枝さんも毎日4〜5ヵ所など全体で2000回も報告会が開かれ、参加者は70余万人。母親運動の種まきとなりました。
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